BLOG 楕円紀行

About Koichi Murakami

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気が付けば、もう11月も中旬である。トップリーグはノンストップで2月まで、そして、3月に日本選手権、4月から新生・日本代表が本格始動するから、あっという間に一年たってしまいそうで怖い。本コラムも、ワールドカップ開幕の1ヵ月前に書いてから、 3ヵ月以上経ってしまった。お待たせして申し訳ありません。

この間、僕は日本代表、そしてワールドカップ取材に没頭していた。9月6日に日本を発ち、決勝戦が終わった10月25日の朝、ニュージーランドのオークランド空港を飛び立った。約50日間のニュージーランド滞在は、ラグビー愛好家にとって至福の時間だった。僕は、第1回W杯が開催された1987年にベースボールマガジン社に入社し、ラグビーマガジンに配属された。だから、W杯はずっと取材者として関わっている。
1999年からはJSPORTSの解説者として4大会連続で試合の全日程を現地でカバーした。その経験からいっても、今回のニュージーランド大会は、ホスピタリティの面でベストだった気がする。「400万のスタジアム」と銘打たれた通り、約430万人の国民が一丸となって大会を盛り上げていた。政府観光局は、自国の文化を世界に発信するため、「リアル・ニュージーランド・フェスティバル」というプログラムを立ち上げ、連日、各地でイベントを繰り広げ、海外からのメディア(約 2,000人)を、自慢の観光地に案内した。
世界中の報道陣が集まるメディアセンターでも、試合が終われば、ミートパイなどの温かい食べ物がふるまわれ、バーでビールも飲めるようになっていた(こちらは有料)。原則として我々JSPORTS チームは、メイン会場「イーデンパーク」のあるオークランドに滞在していたが、日本代表を追いかけて、ハミルトン、ネイピアなどいくつかの地方都市もまわった。そこでは、街中で、ボランティアスタッフが観光案内をしていた。4年前のフランス大会や、8年前のオーストラリア大会は、人口が多いこともあって、そこまできめ細やかなサービスはなかった。ラグビー王国ならではの、大会だった気がする。決勝戦翌日、オールブラックスの優勝パレードは、24万人の人出だった。オークランドの人口は約120万人だから、これを東京に置きかえれば、300 万人くらい集まった感覚だろう。

この大会が、2019年には日本にやってくる。ニュージーランドで痛感したのは、結局は、日本の文化に則したオリジナリティのある大会を作らなければならないということだった。日本が果たさなければならない役割は多々ある。アジア初の大会として、アジア諸国も巻き込んでいくこと。英語が共通語のラグビーを他言語の地域にも広く伝える橋渡し役となること。現在の、W杯のビジネスモデルを変え、ラグビー先進国以外でも大会開催が可能になるように提言していくことなど。現在のW杯は、スポンサーマネーはすべてIRB(国際ラグビーボード)に入り、開催国が得るのは入場料収入のみで、観客が集められる国以外ではできない仕組みになっている。IRB の言い分は、W杯で稼いだお金で世界各国に分配して強化し、世界普及を目指すというもの。しかし、自国のローカルスポンサーまでIRBに管理されたのでは、開催国は確実に赤字になる。日本のあと、ラグビー伝統国ではない新たな地域で大会が次々に開催されていくためにも、日本が果たすべき責務は重い。それを肝に銘じて、 8 年間を過ごしたいものだ。

今大会の日本代表については、専門誌ラグビーマガジンほか、さまざまなところで意見が出ているし、僕も書かせてもらうので、ここでは一点だけ。 1 分け 3 敗に終わった日本代表を見ていて、首脳陣が、精神的に追い込まれた状況で力を発揮する選手を見極められていないと感じた。今回出場した選手が全力を尽くしたことは間違いない。それでも、大事なところでミスが出たり、選手によってパフォーマンスに差があったのは事実。オールブラックスですら、決勝戦ではパニックになる選手がいて、早々に交代させられていた。日本代表の今後の強化を考えるとき、肉体的な強さだけではなく、精神的な強さも見極めるためのマッチメーク、厳しい練習、過酷な遠征などが必要だと感じる。世界の大舞台で勝つというのは、尋常ではない精神力が要求される。そういう選手を見極める眼力のある監督を選ばなければならない。監督を選ぶ側にも、ラグビーに対する深い知識が要求されるし、日本ラグビーの未来に対して、大きな責任があるということだ。