BLOG 楕円紀行

About Koichi Murakami

強い個を作る

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南半球最高峰のプロリーグである「スーパー15」に、田中史朗に続いて、堀江翔太が加入することが明らかになった。パナソニックワイルドナイツ所属の2人は、この秋、ワイルドナイツ所属のまま、ニュージーランドのオタゴ州代表でプレーし、そのプレーが認められて、スーパーラグビーのチームとの契約となった。田中はニュージーランド南島のダニーデンを本拠地とするハイランダーズ、堀江は、オーストラリアのメルボルンが本拠地のレベルズである。世界のラグビー三強国のプロリーグに日本人が加入するという、日本ラグビー界の長年の夢が現実のものとなったわけだ。
ただし、今回の一連の動きは、パナソニックワイルドナイツの太っ腹は姿勢があってこそ。日本のシーズン中にもかかわらず、主力選手に海外武者修行の機会を与え、選手の夢を後押しする企業が他にも次々に出てくるとは考えにくい。誰もが海外挑戦をやりやすくするシステム作りを急がなくてはならないだろう。
日本のラグビー史の中で、海外挑戦のパイオニアと言えば、坂田好弘さん(70歳、大阪体育大学ラグビー部監督、同大学教授)である。元日本代表の名WTBだが、近鉄に所属していた1969年、無給休暇をとって単身ニュージーランドに渡り、カンタベリー州代表に選出され、同国代表オールブラックス一歩手前まで上り詰めた。当時、スーパーラグビーは存在せず、州代表がオールブラックスに次ぐ存在で、カンタベリー州代表には5名のオールブラックスが含まれていた。その中で、まだニュージーランドに数名しか日本人が住んでいない時期での快挙は時代を先取りしすぎていて、日本のラグビー界もその価値がよく理解できていなかった面がある。

今年になって、IRB(国際ラグビーボード)が「ラグビー殿堂」入りを決め、初めてその偉大さに気付いた人も多かっただろう。
筆者は、大阪体育大学ラグビー部に所属した関係上、当時の話をよく聞かせてもらった。その全容は拙著「空飛ぶウイング」(洋泉社)に詳しいのだが、坂田さんも今回の田中、堀江の快挙を喜ぶ。「素直に嬉しいと思うし、どんどん続いてほしい。でも、あれから43年も待たなければいけなかったね」。坂田さんは、長年、「個人が海外に出るべきだ」と言い続けてきた。「理屈じゃない。行かなくては分からない。日本代表が、どんなにいい戦術を採り入れたって、一人一人を比べて全員が相手に劣っていたら勝てません。一人一人が世界に勝ってこそ、強いチームが作れるのです」。
日本は個人が弱いから組織で戦うしかない、そう言われてきた。組織を磨き上げるのは今後も大切なことだが、組織先行になると試合には勝てない。少なくとも、世界トップレベルのプロチームで活躍できる選手がメンバーの半分はいなければ強豪国と互角に戦うことはできない。田中、堀江は、まだ契約したばかり。試合に出場し、トップ選手とどこまで戦えるのかを証明しなければならない。2019年、日本開催のワールドカップで決勝トーナメントに進出するには、世界のその存在を知られる日本人選手を生み出さなくてはいけない。
「強い個人を作る」。日本ラグビー強化のキーワードだろう。